映画「ゴッホ 最期の手紙」のあらすじ、上映館は?

映画「ゴッホ 最期の手紙」のあらすじと上映館について

 

 

印象派の巨匠フィンセント・ファン・ゴッホの死の真相に迫ったアニメーション映画「ゴッホ 最期の手紙」が11月3日(祝・金)に公開されました。

総勢125人の画家たちがゴッホの画風を模して描いた6万枚以上の油絵を使用してアニメ化された異色のアート・アニメーション作品と呼ばれています。また、この作品は「アヌシー国際アニメーション映画祭2017」の長編部門で観客賞を授賞しました。

この異色のアート・アニメーション作品について調べてみました!

また、先日、第90回アカデミー賞長編アニメ映画部門のエントリー作品26作品のうちの1本に選ばれました!

 

フィンセント・ファン・ゴッホの生涯と作品

 

映画「ゴッホ 最期の手紙」特報

 

 

 

本作の主人公であるゴッホの生涯についてまとめてみました!

 

フィンセント・ヴィレム・ファン・ゴッホ(Vincent Willem van Gogh)

1853年3月30日 オランダ北ブラバント州フロート・ズンデルトの牧師の家に6人兄弟の長男として生まれる。

小さい頃から癇癪持ちで思い込みの激しい性格で、兄弟の中でもとりわけ扱い難い子とみられていた。

1869年(16歳) 美術商グーピル商会に共同経営者の叔父の計らいで同社に就職。

1876年(23歳) 勤務態度に問題ありとして解雇。

 

小学校の教師の職を得るが、貧者を救うために聖職者を志すようになる。

神学校に入るが、語学教科のギリシャ語で挫折。

 

1878年(25歳) ブリュッセルの伝道師養成学校に入る。見習い期間が終わっても聖職者になれず、職を求めてベルギー南部のモンス近郊のボリナージュ炭鉱地に向う。

半年間の期間限定で伝道師として炭鉱地で活動を始める。しかし、”常軌を逸した熱心さ”で伝道師を続けることを認められなかった。

 

1880年(27歳) 伝道師の道を諦めたゴッホは、絵画を通じて貧者を救う事を決意、画家を目指すためにデッサンの特訓を開始。

 

【オランダ時代】

1881年(28歳)

実家のあるエッテンに戻り、風景や農民を描き続ける。

 

1882年(29歳)

ハーグに家を借りて従兄の画家アントン・モーブから絵を学ぶ。娼婦シーンと出会い、同棲を始める。

彼女は、子持ちで妊婦で性病を患い、アルコール中毒だった。性病がうつったゴッホは3週間病院に入院することになる。

ゴッホは、彼女を救うために結婚を考えるが周囲から猛反対される。

 

1883年(30歳)

弟のテオに強く説得されて、ハーグを離れてオランダ北ブラバント州ニューネンに帰省する。

小部屋をアトリエとして使う事を許され、織工や農民の絵を描いた。

 

1885年(32歳)

3月、父ドルス牧師が脳卒中で急死する。

父他界の翌月、ニューネンに来て描き続けた農夫の人物画の集大成として、ゴッホの初めての本格的な作品と呼ばれる「ジャガイモを食べる人々」を完成させる。

 

「ジャガイモを食べる人々」(1885年)

ゴッホ「ジャガイモを食べる人々」

出典:http://free-artworks.gatag.net/2013/04/11/120000.html

 

11月 ベルギーのアントウェルペンに移り住む。

 

1886年(33歳)

1月 アントウェルペン王立芸術学院で人物画や石膏デザインの授業を受け始める。

エドモン・ド・ゴンクールの小説「シェリ」を読んで、その日本趣味に魅了され、数多くの浮世絵を買い求め部屋の壁に貼るようになる。また、この頃からアブサン(ニガヨモギを原料とするリキュール)を飲むようになる。

弟のテオから、パリの美術界では”印象派”と呼ばれる新しい画風が広まっていると手紙で知らされる。

 

 

【パリ時代】

1886年(33歳)

2月 パリのモンマルトルに住む弟のテオの部屋に転がり込む。

この頃から、印象派や新印象派の画風を取り入れるようになり、今までの無骨で暗い絵から明るく輝かしい色調の作品を描くようになる。

 

1887年(34歳)

モンマルトルのレストラン「デュ・シャレ」で友人のロートレックやベルナールらとグループ展を開く。偶然、このグループ展を訪れたポール・ゴーギャン(39歳)と知り合う。

 

「タンギー爺さん」(1887年)

ゴッホ「タンギー爺さん」

出典:http://free-artworks.gatag.net/2013/04/11/220000.html

 

「おいらん(栄泉を模して)」(1887年)

ゴッホ「おいらん」

出典:https://matome.naver.jp/odai/2141680898059334601/2141684073006146503

 

1888年(35歳)

2月 冬の陰鬱なパリを離れ、南フランスのアルルに向かう。

ゴッホは、この地で画家の協同組合を作る事を夢見る。ゴーギャンにアルルに来ないかと手紙を送る。

5月 アルルの中心街に1階をアトリエに整備した外壁が黄色い2階建ての建物を借りた。

 

「黄色い家」(1888年9月)

ゴッホ「黄色い家」

出典:http://www.art-library.com/gogh/yellow-house.html

 

ゴーギャンがアルルに来ることになり、ゴッホは彼のために「ひまわり」の連作の制作に取り掛かる。

 

「ひまわり」(1888年8月)

ゴッホ「ひまわり」

出典:https://matome.naver.jp/odai/2142899362433400301

 

 

「夜のカフェテラス」(1888年9月)

ゴッホ「夜のカフェテラス」

出典:https://matome.naver.jp/odai/2139255035995600501/2139255847900338103

 

ゴーギャンがアルルに来るまでに自信作を描こうと精力的に絵を描くゴッホ。

 

10月 ゴーギャンがアルルに到着し、二人の共同生活が始まる。

共同生活もはじめは良かったが、個性の強い者同士、次第に二人の関係は緊張したものになっていった。

一方、弟のテオからは婚約したという手紙がゴッホのもとに届く。結婚することで弟のテオに見捨てられてしまうのではないか、また、生活や画家の活動を続けるための援助が無くなってしまうのではないかと不安を感じるようになる。

 

12月23日 共同生活9週目にゴッホが自らの左耳たぶを切り落とすという事件を起こす。

耳たぶを切り落としたのは、ゴーギャンの同情を買おうとしたためとも、「自画像の耳の形がおかしい」と指摘されて怒ったためとも言われている。

ゴッホはアルル市立病院に収容された。

12月24日 ゴーギャンは電報で弟のテオをアルルに呼び寄せ、自分はパリに帰っていった。

入院中のゴッホは、担当医のフェリックス・レー、郵便夫ルーラン、プロテスタント牧師ルイ・サルが面倒をみていた。

 

1889年(36歳)

1月7日 ゴッホは病院を退院し、「黄色い家」に戻った。

近所の住民からゴッホの異常な行動を不安視し、市長に彼を家族が引き取るか精神病院に収容する嘆願書が出されてしまう。警察署長の判断で病院に収容されることになる。

 

4月18日 弟のテオが、ヨハンナ・ボンゲルと結婚。パリのテオの下に身を寄せることも出来なくなる。

「黄色い家」の家主から立ち退きを求められる。ゴッホはサル牧師から聞いていたサン=レミの精神病院に移ることを決意する。

5月8日、ゴッホはサル牧師に付き添われアルルから20キロ北東に位置するサン=レミの精神病院に入院した。

病室を一室をアトリエとして使う事を許され、絵の制作を続ける。

 

「星月夜」(1889年)

ゴッホ「星月夜」

出典:https://geneticliteracyproject.org/2016/11/18/how-vividly-do-you-see-and-feel-the-world-its-in-your-genes/

 

1890年(37歳)

発作が起きることもあったが、創作活動は続けた。

1月 弟のテオに長男が生まれる。長男が生まれた事を祝って「花咲アーモンドの木の枝」を描き贈る。

 

「花咲アーモンドの木の枝」(1890年)

ゴッホ「花咲アーモンドの木の枝」

出典:https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Amandelbloesem_-_s0176V1962_-_Van_Gogh_Museum.jpg

 

一方、ゴッホの絵画は少しづつ評価されるようになってきた。

評論家のアルベール・オーリエが「メルキュールドフランス」誌1月号にゴッホを高く評価する評論を掲載した。ブリュッセルで開かれた「20人展」ではゴッホの「ひまわり」や「果樹園」など6点が出品され好評を博した。

 

5月 画家ピサロの親しい画家兼精神科医ポール・ガシェを頼って、サン=レミの精神病院を退院し、パリ近郊のオーヴェル=シュル=オワーズに転地療養することになる。

 

この転地療養で、発作など再発することもなくゴッホは精力的に創作活動を続けた。

 

「医師ガシェの肖像」(1890年6月)

ゴッホ「医師ガシェの肖像」

出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%BB%E5%B8%AB%E3%82%AC%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%81%AE%E8%82%96%E5%83%8F

 

6月8日 パリから弟テオ一家がオーヴェル=シュル=オワーズを訪れる。ゴッホ、ガシェ一家と昼食や散歩を楽しんだ。

 

翌月、今度はゴッホがテオ一家に招待されてパリを訪れる。友人知人に久しぶりに出会い楽しい時間を過ごすはずだったが、テオと妻のヨハンナが家計の苦しさから夫婦喧嘩をするのを目撃してしまう。弟のテオに甘え、如何に自分への援助が弟一家の負担になっているか痛感することになる。

 

遺作「カラスのいる麦畑」(1890年7月)

ゴッホ「カラスのいる麦畑」

出典:https://en.wikipedia.org/wiki/File:Vincent_van_Gogh_-_Wheatfield_with_crows_-_Google_Art_Project.jpg

 

7月27日 日曜日 夕方

滞在しているラバー旅館に怪我をしたゴッホが帰り着く。旅館の主人に呼ばれる。医師ガシェの判断で絶対安静で見守ることになる。

弟のテオ宛にガシェは手紙を書き、翌28日、パリからテオが到着。

彼が到着した時点で、まだゴッホの意識はあり話をすることが出来たが、29日午前1時半に死亡。37歳で亡くなる。

 

ゴッホの洋服のポケットには弟テオへの最期の手紙が入っていた。

 

 

 

映画「ゴッホ 最期の手紙」のあらすじは?

 

1891年の夏。南フランスのアルル。

 

青年アルマン・ルーマンは、郵便配達の父ジョゼフ・ルーランからパリへ送付する1通の手紙を託される。その手紙は父の友人で1年ほど前に自殺したオランダ人画家のフィンセント・ファン・ゴッホが弟のテオをに宛てて書かれたが出し忘れた最期の手紙だった。

 

パリに住んでいるはずの弟テオを探し出して、届けて欲しいというのだ。

 

たびたび問題を起こしては村の厄介者だと考えていた外国人の画家のことを大切に思う父の気持ちを知り、テオを探しにパリへと旅立つ。

 

テオの消息が掴めないまま、画材商のタンギー爺さんを訪ねると、そこで意外な事実を知らされる。

 

弟のテオは、兄のフィンセントが亡くなってから半年後にまるで兄の後を追うように亡くなったというのだ。

 

タンギー爺さんから画家ゴッホについて聞かされる。そして、ゴッホの死に疑問を持ったアルマンは、医師ガシェに合うためにゴッホが最期に過ごしたオーヴェル=シュル=オワーズに向う。

 

オーヴェルに着いたアルマンは、早速、医師ガシェを訪ねるが数日留守にしている聞かされる。その間にアルマンは、ゴッホの死の真相について村でゴッホに関係のあった人々に聞いて回る。

 

精神的に安定してたフィンセントがなぜ自殺を選んだのか?答えを見つけようとしているアルマンの前に医師ガシェが帰ってくる。

 

医師ガシェは、ゴッホの死の真相を調べているアルマンに何を話すのか・・・

 

 

 

映画「ゴッホ 最期の手紙」の上映館は?

 

映画「ゴッホ 最期の手紙」の全国上映館一覧はコチラ

http://eigakan.org/theaterpage/schedule.php?t=nWPPELol

 

 

映画「ゴッホ 最期の手紙」の公式HPはコチラ

http://www.gogh-movie.jp/index.php

 

 

作品情報

「ゴッホ 最期の手紙」(Loving Vincent)

*スタッフ

監督・脚本・編集:ドロタ・コビエタ

監督・脚本・プロデューサー:ヒュー・ウエルチマン

撮影:トリスタン・オリヴァー ウカシュ・ジャル

音楽:クリント・マンセル

絵画責任者:ピョートル・ドミナク

視覚効果責任者:ウカシュ・マツキェヴィッチュ

 

*キャスト

ダフラス・ブース:アルマン・ルーマン(吹き替え:山田孝之)

ロベルト・グラチーク:フィンセント・ファン・ゴッホ(吹き替え:三宅健太)

エレノア・トムリンソン:アドリアーヌ・ラブー(吹き替え:冬馬由美)

ジェローム・フリン:ガシェ医師(吹き替え:村治学)

シアーシャ・ローナン:マルグリット・ガシェ(吹き替え:伊藤かな恵)

クリス・オダウド:郵便配達人ジョゼフ・ルーラン(吹き替え:イッセー尾形)

ジョン・セッションズ:タンギー爺さん(吹き替え:鈴木清信)

エイダン・ターナー:貸しボート屋(吹き替え:丸山壮史)

ヘレン・マックロリー:ルイーズ・シュバリエ(吹き替え:幸田直子)

ピョートル・パムワ:ポール・ゴーギャン(吹き替え:落合福嗣)

 

 

 

第90回アカデミー賞長編アニメ映画部門にエントリー!

 

現地時間の10日、アメリカの映画芸術科学アカデミーが、第90回アカデミー賞長編アニメ映画部門のエントリー26作品を発表しました。映画「ゴッホ 最期の手紙」は26作品のうちの1本に選ばれました。

 

第90回アカデミー賞のノミネート作品は、2018年1月23日に発表されます。長編アニメ映画部門では最大5作品が最終的な候補となります。2018年3月4日に第90回アカデミー賞授賞式が行われ、最優秀賞が発表されます。

 

他のエントリー作品は、

ディズニー/ピクサー「カーズ/クロスロード」、「リメンバー・ミー

イルミネーション・エンターテインメント「怪盗グルーのミニオン大作戦

アンジェリーナ・ジョリーがプロデュースした社会派アニメ「ザ・ブレッドウィナー(原題)

レゴシリーズ「レゴバットマン ザ・ムービー」、「レゴ(R)ニンジャゴー ザ・ムービー

ドリームワークス・アニメーション「ボス・ベイビー

日本のアニメ作品は、

この世界の片隅に」、「メアリと魔女の花」、「ひるね姫~知らないワタシの物語~」、

映画「聲の形」」、「劇場版 ソードアート・オンラインーオーディナル・スケールー」の5作品が選ばれました。

 

 

 

【まとめ】

油絵でアニメーション作品を作ろうと考えた発想が凄い!

ゴッホについては詳しくは知らなかった。耳を切り落としたのは知っていたけど、自殺したとは知らなかったです。

作品では、「夜のカフェテラス」が好き。

 

映画「ゴッホ最期の手紙」トレーニング風景の動画

 

 

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記事作成日:2017/11/08

最終更新日:2019/07/16

 

 

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